大判例

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最高裁判所第一小法廷 昭和59年(あ)1472号 判決 1985年12月19日

本籍

福岡県大牟田市三川町三丁目二九番地

住居

福岡市南区中尾三丁目四九番一五号 コーポ宏基一〇一号

寝具店店員

青沼隆郎

昭和二三年五月一日生

右の者に対する道路交通法違反被告事件について、昭和五九年九月二七日福岡高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立があつたので、当裁判所は、次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

理由

被告人本人の上告趣意のうち、憲法三一条、七三条六号違反をいう点は、道路標識等による最高速度の指定を都道府県公安委員会に委任することが憲法の右各条項に違反するものでないことは、当裁判所の判例(昭和二三年(れ)第一四一号同二五年二月一日大法廷判決・刑集四巻二号七三頁、昭和二七年(あ)第四五三三号同三三年七月九日大法廷判決・刑集一二巻一一号二四〇七頁、昭和三一年(あ)第四二八九号同三七年五月三〇日大法廷判決・刑集一六巻五号五七七頁)の趣旨に徴し明らかであり、憲法二九条、三二条違反をいう点は、証人尋問に要した訴訟費用の負担を有罪の言渡しを受けた被告人に命ずることが憲法の右各条項に違反するものでないことは、当裁判所の判例(昭和二三年(れ)第三一六号同年一二月二七日大法廷判決・刑集二巻一四号一九三四頁)の趣旨に徴し明らかであるから、所論はいずれも理由がない。憲法三五条違反をいう点は、本件スピードレーダーによる速度違反の取締りは任意捜査としてされたものであることが明らかであるから、所論は前提を欠き、その余は、憲法一四条違反をいう点を含め、実質において単なる法令違反、事実誤認の主張であつて、刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。

よつて、刑訴法四〇八条により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 高島益郎 裁判官 谷口正孝 裁判官 和田誠一 裁判官 角田禮次郎 裁判官 大内恒夫)

昭和五九年(あ)第一四七二号

被告人 青沼隆郎

被告人の上告趣意(昭和五九年一二月一八日付)

私は、かつて、第一審の陳述書において、被告人の主張を排斥するに際しては、単に結論そのものが、その言い変えにすぎないような、理由のつかない論法で裁判をしないよう裁判官にお願いをした。そして、そのような論法の一つの例として、「被告人の見解は独自のものであつて採用しえない」という類の「独自見解論法」を示しておいた。

しかし結果はもう言うまでもなく、裁判官はその論法を使つてしまつた。被告人の主張はどの点がどのような理由で背理であるとか、矛盾であるとか、何々の法理念に反する等の具体的指摘を行なえば必要かつ十分であるのにである。

第一審の判決がそのようにとうてい是認しえない違法、不充分なものであるのにそのまま第一審判決を維持した原審の判決は一審と同等またはそれ以上の違法、不当な判決である。

しかし私は、原審判決の不当性、違法性を具体的に述べるまえに、是非とも、最高裁の裁判官にお願いしなければならないことがある。かつて私は同種の事件において、類似又は同様の事実問題、法律問題を主張して上告したことがある。そしてその最後の理性への期待は意外な形で葬り去られたのである。「被告人の主張は法令違反の主張であつて、憲法問題でないから、適法な上告理由にあたらない」という要件審理でもつて却下されたのであつた。

なるほど、上告理由は憲法より下位法である刑事訴訟法自身によつて、憲法違反等に制限されている。上告理由を重大な問題に限るとすること自体には、訴訟経済や司法制度の効率という観点からみても必要なことと考えられる。しかし、事は簡単ではない。また不都合なことに、伝統的な裁判理論を無批判に踏襲する限り、要件審理上の不明確な性質決定問題は、必然的に二次的法律問題を派生させてしまう。そして、概ね、これらの問題は解決不能である。

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